2021/10/25
『谷崎潤一郎伝:堂々たる人生』の追記
ずいぶん前のことだが、本ブログで小谷野敦の『谷崎潤一郎伝:堂々たる人生』を採り上げたとき、亡命インド人青年のK.R.サバルワルについて、同書が野田美鴻の『杉山茂丸伝:もぐらの記録』に依拠して、サバルワルが杉山茂丸の養子になっていたということを書いていることに言及した。野田が何を典拠としてこんなことを書いたのかは、今でも判然としない。しかし、それを示唆する史料を発見したのでここに情報を追記しておこう。外務省外交史料館所蔵史料に、「在京印度人ノ現況」と題して、東京在住のインド人の動静に関する調査報告書がある。この報告書では八名のインド人の動静報告がなされているが、その中の一人がサバルワルで、以下のような記述がなされている。
府下渋谷町上渋谷二三番地四号
白井アヤ方黒龍会々員
サヴァルワル
当二十六年
本名ハ大正六年頃印度ヨリ本邦ニ亡命シ最初高等工業学校ニ入学シタルカ中途退学後内田良平、杉山茂丸等ノ後援ニテ大正七、八年中国際的密偵ヲ為シタルヤノ聞ヘアリ目下黒龍会発行雑誌亜細亜時論ノ校正係ヲ為シ傍ラ「アテネ フランセ」ニテ仏国語ノ研究ヲ為シツツアリ、性質怜悧ニシテ多クヲ語ラサルモ印度問題ニ関シ注意ヲ怠ラサルモノノ如ク常ニ同国人「ラオ」「バクシ」「ボーミツク」「シング」及頭山満、内田良平、杉山茂丸等ト特別ノ親交関係ヲ有セルモノノ如ク現ニ「杉山茂丸ノ養子ナリ」ト豪語シ居レリ(以下引用を略す)
※資料出典 JACAR ref.B03050977400「各国内政関係雑纂/英領印度ノ部/革命党関係(亡命者ヲ含ム)第四巻」
これによるなら、サバルワルが杉山茂丸の養子であったという言説の出所は、サバルワル自身であったということになる。
野田美鴻は、杉山の次女たみ子の夫である耳鼻咽喉科医石井俊次の遠縁であり、石井家に出入りしていて杉山に関心を持って『杉山茂丸伝:もぐらの記録』を著わしたという。おそらく彼は、サバルワルが杉山の養子であったという言説を、石井夫妻のいずれかから聞いて、それを著作に書き写したのだろう。ただ、それが事実であったのかどうかは、いまだ真偽不明である。